ごま和え、ごま豆腐、担々麺、ごまドレッシング。日本の食卓に「ごま」は驚くほど溶け込んでいる。あまりにも当たり前にあるものだから、意識することすらない。

でも、あなたが昨日食べたごま——あれ、どこの国のごまか、考えたことはあるだろうか。

「国産」だと思い込んでいた

ごまは日本の食文化に深く根付いている。和食には欠かせない存在だ。だから、多くの人がなんとなく「日本で作っているもの」だと思っている。少なくとも、国産がそれなりの割合を占めているはずだと。

でも実際は、日本で消費されるごまのほぼすべてが輸入品だ。国産ごまは、消費量全体から見ると、ほんのわずかしかない。「え、そうなの?」と思った人——あなただけじゃない。ほとんどの人が知らない事実だ。

農地
国産ごまを育てる農家は、年々減り続けている

「なんで誰も作らないんだろう」——そこにあるモヤモヤ

ごまが日本でほとんど作られていない。その事実を知ったとき、多くの人がこう感じるんじゃないだろうか。

「こんなに使うのに、なんで誰も作らないの?」
「日本の農家はもっと頑張ればいいのに」

——ちょっと待ってほしい。その違和感は正しい。でも、怒りの矛先は、たぶん違う。

作らないんじゃない。作れないんだ

ごまの栽培は、想像以上に手間がかかる。一粒一粒が小さく、収穫は基本的に手作業。機械化が極端に難しい作物なのだ。

しかも、ごまの国際価格はかなり安い。海外では人件費の安い地域で大量に生産されているから、どうしてもコスト競争では太刀打ちできない。日本の農家が一生懸命作っても、輸入品と同じ値段では売れない。かといって高くすると、買ってもらえない。

つまり、「誰も作らない」のではなく、「作りたくても、続けられない構造」がある。これは個人の努力の問題じゃない。

畑の風景
手間のかかる作業の一つひとつに、農家の想いが詰まっている
私たちは「安いから」という理由で輸入品を選ぶ。それは何も悪いことじゃない。でも、「安さ」の向こう側で、国産を守ろうとしている人がいることは、知っておいてもいいんじゃないだろうか。

「知る」ことが、いちばんの応援になる

「国産ごまを買おう」と言いたいわけじゃない。値段だって違うし、手に入りにくい。すべてを国産にするのは現実的じゃないかもしれない。

でも、ごまをすり鉢ですっているとき。ごま和えを作っているとき。ふりかけのごまを見たとき。「これ、どこから来たんだろう」と、一瞬だけ考えてみてほしい。

その「一瞬の想像力」が、たぶん、いちばんの応援になる。すぐには何も変わらないかもしれない。でも、知っている人が増えることで、選択肢が生まれる。選択肢が生まれることで、国産ごまが「生き残る理由」ができる。

KOTOHAREの視点:国産ごまの話は、ごまだけの話じゃない。「当たり前に食卓にあるもの」が、実は当たり前じゃないということ。その違和感を、一緒に大切にしていきたい。