夏の蒲田で、汗をかいた人間が求めるものは決まっている
先日、プロレスを観に大田区総合体育館へ行った。今年の4月から「EBARA WAVE アリーナおおた」という愛称がついている建物だ。大田区の施設としては初めてのネーミングライツ契約で、荏原製作所の名前を冠することになった。住所は大田区東蒲田。JR蒲田駅の東口から、公式の案内で徒歩15分である。
たかが15分、と思っていた。ところがこの夏の日差しの下では、それが長い。シャツが背中に張りつき、日陰を選んで歩いても汗が止まらない。館内に入って冷房に当たった瞬間の、生き返る感じ。そして満員の会場で声を出しているうちに、また汗をかいていく感じ。試合が終わって外に出ても、夜の蒲田はまだ生ぬるい熱を持っていた。
この状態で帰路につく人間が求めるものは、決まっている。冷えたビールと、餃子だ。
店に入って瓶ビールを頼み、羽根つき餃子を待つ。汗が引いていく体に、最初の一口が沁みる。パリパリの羽根を割って、熱い餡を頬張って、ビールで流し込みながら、あの試合はどうだった、あの技はどうだったと語り合う。夏の夜の、完璧な時間だった。
そして帰りの電車で、ふと思ったのだ。あの羽根は、いったい何のためにあるのだろう、と。
正直に言うと、ずっと「飾り」だと思っていた
羽根つき餃子の、あのきつね色の一枚。皿いっぱいに広がって、箸を入れるとパリッと音を立てて割れる。
正直に言うと、筆者はあれをずっと見た目の派手さだと思っていた。写真映えするための飾り、あるいは店の個性を出すための演出。そのくらいの認識だった。
しかも、いまや珍しいものでもない。餃子を頼めば羽根がついてくる店は、蒲田に限らずいくらでもある。スーパーで買う冷凍餃子にすら羽根がつく。あまりに当たり前になっているせいで、誰がなぜ考えたのかを気にする機会が、そもそもなかった。
まったく違った。あの一枚には、はっきりした目的がある。しかも、料理を日本人の好みに寄せるための、感心するくらい理にかなった解答だった。順を追って書きたい。
水餃子の国と、焼き餃子の国
まず、餃子という料理には、国境をまたぐと入れ替わってしまうものがある。主役と脇役だ。
中国で餃子といえば、まず茹でた水餃子である。次いで蒸し餃子。焼き餃子が食卓に上がるときは、たいてい前の日に食べきれなかった水餃子を焼き直した姿だ。店で出す焼き物は「鍋貼(グオティエ)」という別の料理として扱われ、水餃子とははっきり区別される。中国には「水餃子は主人の食べ物、焼き直しは使用人の食べ物」といった言い回しまで残っている。
ところが日本では、事情がまるで逆になる。餃子といえば焼き餃子。水餃子はむしろ脇役の位置にいる。同じ料理でありながら、海を渡ると格付けが引っくり返ってしまう。
蒲田で羽根つき餃子を設計したのは、八木功さんという人だ。中国残留邦人——先の大戦のあと日本へ帰る機会を失い、中国で暮らすことになった日本人を指す——である。你好の公式の記述によれば、1979年に中国から日本へ戻ってきた。日本に着いてすぐ日本語学校に入り、2年半ほど日本語を学んだという。そのころ世話になった人たちに料理をふるまうようになり、いちばん喜ばれたのが餃子だった。そして1983年(昭和58年)、蒲田に「你好(ニイハオ)」を開いている。八木さんの歩みは、共同通信の記者だった石井克則さんによる『「你好」羽根つき餃子とともに 二つの祖国に生きて』(三一書房、2017年)という一冊にまとまっている。
つまり八木さんは、水餃子が主役の食卓と、焼き餃子が主役の食卓、その両方を知る位置にいた。你好の公式の説明にも、中国の伝統的な水餃子ではなく、日本で人気のある焼き餃子を美しく作るために研究を重ねた、という趣旨のことが記されている。差がどこにあるかを知っている人が、その差に向けて設計した。話はここから始まる。
味をいじらず、食感を一枚足すという解答
ある料理を日本人の好みに寄せようとするとき、いちばん手っ取り早いのは味を変えることだ。甘くする、にんにくを効かせる、タレを工夫する。実際、日本に根づいた中華の多くは、その道を通ってきた。
だが羽根つき餃子がやったのは、味そのものをいじることではなかった。食感を、一枚足したのである。
これは思っている以上に難しい判断だと思う。味を変えれば、その料理はだんだん別の料理になっていく。けれど食感を足すだけなら、餡も皮もそのままでいい。餃子は餃子のまま、食べる体験だけが変わる。引き算も差し替えもせず、純粋な足し算で好みに寄せたわけだ。
しかも足したのは、日本の食卓がとりわけ大事にしてきた歯ざわりだった。天ぷらの衣、とんかつの衣、せんべい、あられ。パリパリ、サクサクという音を、この国の食べ物はずいぶん長いこと愛でてきた。その真ん中に、餃子を一皿ぶん寄せた。
味を変えれば、料理は別のものになる。食感を足すだけなら、餃子は餃子のまま日本の口に近づく。羽根つき餃子の羽根は、その一点だけを狙って足された一枚だった。
羽根はどうやってできるのか。蒸し焼きと揚げ焼きの中間
では、あの一枚はどうやって生まれるのか。仕組みはシンプルで、そして無駄がない。
焼き上げの途中で、小麦粉や澱粉を溶いた水を鉄板に流し込む。水分はまず蒸気になって餃子を蒸す。皮の内側に火を通し、餡をふっくらさせるのは、この蒸気の仕事だ。やがて水分が飛んでいくと、あとに残った澱粉が薄い膜となって固まり、餃子どうしをつないだまま、きつね色のパリパリに変わる。
つまり皿の上のあの羽根は、蒸すために使った水が姿を変えたものである。本来なら役目を終えて消えるはずの工程が、そのまま料理の一部として出てくる。ヒントは大連仕込みの焼き物料理にあったとされるが、少なくとも設計としては、ひとつの動作に二つの仕事をさせている。
羽根の質は、何を溶かすかでも変わってくる。小麦粉なら軽くて香ばしい羽根になり、片栗粉のような澱粉を使えば硬めでバリバリした羽根になる。家庭向けのレシピでは、水と小麦粉をおよそ10対1で溶くのが目安とされることが多い。粉が多すぎるとべたついて、あの軽さが出ない。配合と流し込むタイミングの両方が効いてくるという意味で、羽根はかなり繊細な部品でもある。
技術としては、蒸し焼きと揚げ焼きのちょうど中間にいる。皮の内側は蒸されてモチモチのまま、外の一面だけが揚がったようにパリパリになる。ひと皿のなかに、まったく性質の違う二つの食感が同時に立っている。箸で割ったときのあの音は、その二層構造が壊れる音だ。
なぜ、あのパリパリはビールを呼ぶのか
そしてこの設計は、日本の飲み方にもよく合った。
焼いた面の香ばしさと、割ったときの音。この二つは、冷えたビールをほとんど自動的に呼んでくる。歯ざわりが強いほど、次の一口の炭酸が欲しくなる。味を濃くして酒に合わせるのではなく、食感で合わせにいった、とも言える。「とりあえずビール」という文化を持つ国で、これはかなり有利な設計だ。
実務的な効き目もある。餃子どうしがつながった一枚として運ばれてくるので、皿の上で崩れにくく、熱も逃げにくい。割って取り分ける動作そのものが、卓を囲む楽しさになる。設計としては、そこまで込みで完成している。
汗を引かせながら食べる夏の一皿として、これ以上の組み立てはちょっと思いつかない。
昭和58年生まれの設計は、すぐに街へ広がった
意外なのは、この料理がかなり新しいことだ。
1983年。ファミコンの発売と同じ年、と言えば距離感が伝わるだろうか。蒲田の風景にすっかり溶け込んでいて、いかにも昔からそこにあったような顔をしているが、実のところ老舗の顔をした、いちばん新しい料理である。
そして広がり方も速かった。八木さんは、羽根つき餃子の作り方を自分の兄弟や親族に伝えている。そこから生まれたのが「金春(コンパル)」であり、「歓迎(ホアンヨン)」だ。你好と合わせて、いまでは「蒲田餃子御三家」と呼ばれる3軒である。この呼び名は地元だけの符牒ではなく、旅行メディアや街歩き媒体でもふつうに使われている。
面白いのは、3軒が同じ味になっていないことだ。出発点は同じ設計なのに、餡の配合や皮の厚さ、羽根の焼き加減で、それぞれ違う方向に進化している。食べ比べるとちゃんと別物で、どこが好きかで意見が割れる。正直に白状すると、筆者は「御三家」を観光向けのキャッチコピーだと思っていた。実際には、同じ設計図から枝分かれした三つの解答が並んでいる、という話だったわけだ。
さらに、親族や店で腕を磨いた料理人が独立して自分の店を構えていった。暖簾分けという縦の制度ではなく、家族と街に横へ広がっていく形である。結果として、いま蒲田で餃子を頼めば、羽根がついてくるのがほとんど当たり前になった。
蒲田という街は、この設計を必要としていた
広がった先が蒲田だったことにも、理由があると思う。
JR蒲田駅は、京浜東北線に東急池上線と東急多摩川線が接続する乗り換え駅だ。そこから800メートルほど離れたところに、京急蒲田駅がある。京急からは空港線で羽田空港へ直行できる。二つの蒲田駅は今も線路でつながっておらず、その800メートルを結ぶ「新空港線(蒲蒲線)」構想が長く議論されてきた、という土地でもある。
もうひとつ、蒲田は湯の街でもある。大田区は東京23区でいちばん温泉施設が多い区で、なかでも知られているのが「黒湯」と呼ばれる褐色の温泉だ。腐植質を含んだ濃い色の湯に、銭湯の値段で入れる。汗を流しに来る人が、日常的に街を歩いている。
働く人、乗り換える人、旅行者、風呂上がりの地元客。それぞれ違う目的で行き交う街で、共通して求められるものがある。安くて、早くて、ビールに合う。羽根つき餃子は、その条件にぴたりと収まっていた。街の事情と一皿が噛み合うと、こういうことが起きる。亀戸がホルモンの聖地になった経緯にも、似た手ざわりがある。
そして「羽根の素」は、全国の冷凍庫に入った
やがて、羽根は蒲田を出た。
いま、全国の中華料理店や餃子専門店で、羽根つきはめずらしくない。それどころか、家庭の冷凍庫にまで入り込んでいる。冷凍餃子には「羽根の素」と呼ばれるような粉があらかじめ仕込まれていて、水も油も足さずにフライパンで焼くだけで、あのパリパリが再現できる。
仕組みは蒲田の鉄板とまったく同じだ。含まれた水分が餃子を蒸し、飛んだあとに澱粉の膜が残る。40年ほど前に一軒の店で組み立てられた設計が、そのまま工業化されて、全国の台所で毎晩再現されている。設計というのは、こういうふうに旅をするものらしい。
汗をかいた夏の夜、蒲田の店に入って瓶ビールを頼む。運ばれてきた餃子の羽根を箸で割ると、パリッと小気味いい音がする。
あの音は、40年ほど前に八木さんが設計した音だ。焼き餃子が主役のこの国に向けて、味ではなく食感を一枚足す——そう決めた結果が、いま箸の先で鳴っている。風景に溶け込みすぎていて、誰も気づかない。けれどあの一枚は、飾りではなく、答えなのだ。
今年もまた、暑い夏が続く。汗をかいた帰り道には、あの音がよく似合う。