ミスタードーナツを運営しているのは、掃除の会社だ
ポン・デ・リングを、片手でちぎって食べる。あの、もちもちとした感触。学生のころ、100円セールを狙って放課後にミスタードーナツへ通った人は、たぶん少なくない。筆者もその一人だ。財布に小銭しかなくても、ミスドだけはなぜか入れた。
そのミスタードーナツを運営している会社の名前を、答えられるだろうか。
ダスキンである。そう、あの、玄関マットやモップを届けてくれる、掃除の会社だ。
この事実を知ったとき、正直なところ「なぜ?」と声が出た。雑巾とドーナツ。この二つに、いったいどんな接点があるというのか。掃除用具のレンタルで知られる会社が、なぜ日本人の甘い記憶をここまで握っているのか。
その答えは、半世紀以上前の、一人の男のアメリカ出張から始まる。
ダスキン創業者・鈴木清一が、ドーナツに賭けた理由
ダスキンの創業者は、鈴木清一という人物だ。化学ぞうきん、いわゆるレンタルモップの事業で会社を大きくした。「喜びのタネまき」という経営理念を掲げていた。損得よりも、人に喜んでもらうことを先に置く。そういう思想の持ち主だった。
その鈴木が、事業のもう一つの柱を探してアメリカへ渡る。訪問販売やフランチャイズの仕組みを学ぶための視察だった。掃除用具の会社が、なぜ食べ物なのか。ここが面白いところで、ダスキンが本当に売っていたのは「モップ」ではなく「加盟店を全国に増やしていく仕組み」だったのだ。その仕組みは、ドーナツにも応用が利く。
視察の先で出会ったのが、ミスタードーナツというチェーンだった。鈴木は、その創業者ハリー・ウィノカーと会う。そして1970年1月27日、事業提携の契約を結ぶ。
契約金は、42万5000ドル。当時のダスキンの資本金の、およそ2倍にあたる額だったと伝えられている。畑違いの、しかも一晩で決断を迫られるような大勝負だ。冷静に考えれば、掃除の会社がやることではない。
だが鈴木は、やった。翌1971年4月、大阪府箕面市に、日本のミスタードーナツ1号店が開く。ここから、日本人とミスドの長い付き合いが始まる。
掃除用具の会社が、資本金の2倍を投じてドーナツ事業に飛び込んだ。無謀にも見えるこの決断が、のちに日本の甘い記憶の一部をつくることになる。
ポン・デ・リングという、救世主が生まれるまで
1号店から、時代は昭和、平成へと流れていく。ミスドは全国のショッピングセンターや駅前に広がり、放課後や休日の、ちょっとした贅沢の場所になった。エンゼルクリーム、オールドファッション。名前を聞くだけで、口の中に味がよみがえる人もいるだろう。
その歴史の中でも、決定的な一品が生まれる。2003年1月に登場した、ポン・デ・リングだ。
八つの団子がつながったような、あの独特のかたち。もちもちとした食感は「第4の食感」とまで呼ばれた。開発を担ったのは中村雅彰という人物で、この新しい歯ごたえを生み出すのに、相当な試行錯誤があったという。累計の販売数は35億個以上。「ミスドの救世主」と呼ばれるのも、大げさではない。
チェーン店の看板商品が、これほど長く愛される例はそう多くない。安く、身近で、それでいて他にはない。日本最古のハンバーガーチェーン・ドムドムの逆襲にも通じるが、大手にしか出せない安心感と、その店にしかない一品。この二つがそろったとき、チェーン店は「町の顔」になる。
本家アメリカのミスタードーナツは、消えていた
ここで、少し驚く話をしたい。
私たちが「アメリカ生まれのチェーン」だと思っているミスタードーナツは、その本国アメリカでは、ほとんど姿を消している。
もともとミスタードーナツは、1956年にハリー・ウィノカーがボストンで創業したチェーンだ。彼は、あのダンキンドーナツの創業者ビル・ローゼンバーグと、かつて組んでいた間柄だった。義兄弟であり、元パートナー。その二人が決別し、ウィノカーが独立して立ち上げたのがミスタードーナツだった。つまり本家同士は、もともとライバルだったのだ。
そして1990年、ミスタードーナツはダンキンの親会社にあたる企業に買収される。北米の店舗の多くは、そのままダンキンドーナツに看板を掛け替えられた。かつてしのぎを削った相手に、飲み込まれてしまったわけだ。今、アメリカ本土に残るミスタードーナツは、イリノイ州の、たった1店だけだと言われている。
正直に言うと、この事実を知ったときは軽くめまいがした。本場が1店。日本には千を超える店。もはや、どちらが「本家」なのか分からない。海の向こうで消えかけたブランドを、日本が独自に育て、守り、日本の味に変えていった。ポン・デ・リングは、アメリカにはない。あれは、まぎれもなく日本のドーナツだ。
世代をつなぐ、町のドーナツ屋として
時間の試練を越えて生き残る店には、共通するものがある。100年続く飲食店は、どこかで一度死にかけているという話を以前書いたが、ミスドもまた、本家の消滅という荒波を、日本でくぐり抜けてきた一つの例だ。
そして今、ミスドはまた新しい世代とつながろうとしている。2026年夏、人気バンドのMrs. GREEN APPLEとのコラボレーション「ミセスドーナツ」が発表された。ミスドにとって、アーティストとの初めての大型コラボだという。若い世代が、新作のドーナツを目当てに店へ足を運ぶ。
一方で、同じ店内には、100円セールの日を心待ちにしている年配の常連もいる。ポン・デ・リングを孫に買ってやる祖父もいるだろう。片や最新のコラボ、片や何十年も変わらない定番。その両方が、同じショーケースの中に、当たり前のように並んでいる。
考えてみれば、これはなかなか珍しい光景だ。世代の違う人たちが、同じ店の、同じ甘いものを、それぞれの理由で選んでいる。掃除の会社が半世紀前に賭けた一手は、いつのまにか、世代をつなぐ「町のドーナツ屋」になっていた。
次にミスドの前を通ったら、ガラス越しにショーケースをのぞいてみてほしい。あの一つひとつの奥に、雑巾とドーナツをつないだ、ちょっと無謀な物語が眠っている。