マクドナルドより1年早い。日本初のハンバーガーチェーン

日本最古のハンバーガーチェーンはどこか。マクドナルド? 違う。モスバーガー? もっと違う。

答えは、ドムドムハンバーガー。1970年2月、東京・町田のダイエー忠生店にオープンした。マクドナルド日本1号店が銀座にできたのは1971年7月。モスバーガーは1972年3月。つまりドムドムは、マックより1年以上早く、日本の子供たちにハンバーガーという食べ物を教えた店なのだ。

ダイエーのフードコートに生まれた小さなバーガーショップ。最盛期には全国400店舗以上を展開していた。ショッピングセンターのフードコートに行けば、どこかにドムドムがあった時代がある。

でも今、その名前を聞いて「懐かしい!」と声を上げる人と、「何それ?」と首をかしげる人に、きれいに分かれるはずだ。ドムドムは一時期、本気で「絶滅」しかけた。そして今、そこが日本で一番面白いハンバーガーチェーンになっている。

この逆転劇の裏には、ちょっと信じがたい人生を歩んできた社長がいる。

400店舗から36店舗へ。「絶滅危惧種」と呼ばれた時代

マクドナルドは全国に約3,000店舗。モスバーガーは約1,300店舗。ロッテリアですら約350店舗。バーガーキングが急速に店舗を増やし、シェイクシャックやファイブガイズが上陸する時代。ハンバーガー業界は「大きいことがすべて」のスケールゲームだ。

その中で、ドムドムは2010年代に店舗数が36まで激減していた。400店舗以上あった時代から、10分の1以下。SNSでは「絶滅危惧種」「天然記念物」と呼ばれた。半分は親しみ、半分は「もうすぐなくなるだろう」という諦めだったかもしれない。

ダイエーの経営悪化とともにドムドムも縮小。オレンジフードコートへの転換、イオンへの事業譲渡——親会社が変わるたびに振り回された。独自のアイデンティティを打ち出す余裕などなく、マクドナルドの廉価版のようなポジションに甘んじていた。

食べたことがある人はわかると思う。正直に言えば、当時のドムドムは「安いけど特徴がない」バーガーだった。わざわざ選ぶ理由がなかった。このまま静かに消えていく——誰もがそう思っていた。

ところが、そうはならなかった。

ドムドムバーガーの丸ごとカニバーガー——殻ごとカニをプレスして揚げた看板商品
殻ごとプレスして揚げたカニがバンズからはみ出す。常識破りの「丸ごと!!カニバーガー」

39歳まで専業主婦だった人が、51歳で社長になった

ドムドムの復活を語るには、一人の人間の話をしなければならない。藤﨑忍(ふじさき・しのぶ)。1966年生まれ、東京・向島の煎餅屋に育った。

39歳まで就職経験がない。専業主婦だった。夫は区議会議員。何不自由ない暮らしをしていた——はずだった。

夫が心筋梗塞で倒れる。回復しかけたところで脳卒中。要介護4になった。当時の藤﨑は39歳。子育てと介護を同時に抱え、一銭も稼いだことのない自分が家計を支えなければならない。履歴書に書ける職歴はゼロ。

普通なら絶望する場面だ。でも藤﨑は、渋谷109のアパレルショップに飛び込んだ。39歳で、10代20代のギャル文化の最前線に。面接で「やったことないけどやります」と言い切って採用された。1年で店長になった。

44歳で新橋に居酒屋「そらき」を開業。料理も接客も経営も独学。半年で予約が取れない人気店にした。食べることが好き、料理することが好き、人に食べてもらうことが好き。その「好き」の熱量が、素人の店を繁盛店に変えた。

2017年、51歳でドムドムフードサービスに入社。わずか9ヶ月で代表取締役社長に就任する。39歳で初就職、51歳で社長。日本のビジネス界で、こんなキャリアの人は他にいない。

履歴書に書ける職歴ゼロの39歳が、12年後に日本最古のハンバーガーチェーンの社長になった。ドムドムの物語は、藤﨑忍の人生そのものだ。

なぜドムドムは復活できたのか

藤﨑が最初にやったことは、「マクドナルドの真似をやめる」だった。

考えてみれば当然だ。3,000店舗のチェーンと29店舗のチェーンが同じ土俵で戦えるわけがない。価格でも速度でも品揃えでも勝てない。なら、29店舗だからこそできることをやる。大手が絶対にやらないことを、やる。

「丸ごと!!カニバーガー」。カニを殻ごとプレスして揚げ、バンズに挟む。見た目のインパクトが凄まじい。カニの足がバンズからはみ出している。こんな商品、マクドナルドの会議室では絶対に通らない。でもドムドムでは通る。

「厚焼きたまごバーガー」。分厚い卵焼きをバンズに挟んだだけ。だが、その「だけ」が新鮮だった。お好み焼きバーガー、手作り豚カツバーガー——次々と「それ、バーガーに挟むの?」という商品を出す。全部、他のチェーンがやらないことだ。

商品開発は藤﨑ともう一人、たった2人で行っている。「たくさんの意見を聞くと、尖ったものができなくなる」というのが藤﨑の持論。大企業ならマーケティングリサーチ、試食会、役員会議——何段階ものプロセスを経る。ドムドムは2人で「面白いかどうか」「美味しいかどうか」で決める。だから攻めた商品が出せる。

組織もフラットだ。藤﨑は全店長とLINEグループで直接つながっている。現場の声がダイレクトに社長に届く。逆に、社長の思いもダイレクトに現場に届く。3,000店舗では不可能な距離感。29店舗だからこそ成立する。

「ドムぞうくん」のキャラクターグッズも大ヒットした。Tシャツ、トートバッグ、ステッカー——身近なブランドに対する愛着を、食だけでなくグッズでも表現できるようにした。ドムドムのファンは、バーガーだけでなくブランドそのものを応援している。

結果、3年連続黒字。41ヶ月連続で既存店売上が前年を超えた。2025年10月には初の海外店を台湾にオープン。そして2026年1月、藤﨑はMBO(マネジメント・バイアウト)を実施し、「雇われ社長」から「オーナー社長」になった。本気で、この会社の未来を背負う覚悟を示した。

29店舗でも、熱狂的に愛される店は存在できる

ドムドムが教えてくれるのは、「大きくなること」だけが正解じゃないということだ。

飲食業界は規模の経済が支配する世界だ。店舗数が多いほど仕入れは安くなり、広告は効率的になり、ブランド認知は上がる。だからみんな拡大を目指す。100店舗、500店舗、1,000店舗——数字が大きいほど「成功」とされる。

でも、29店舗のドムドムは黒字だ。ファンはSNSで「ドムドムが近くにない」と嘆き、遠征してまで食べに行く。丸ごとカニバーガーの発売日には行列ができる。ドムぞうくんのグッズは即完売する。規模では測れない「熱量」が、この小さなチェーンにはある。

藤﨑忍は言う。「美味しさの先にある"食の喜び"を生み出せない商品は出さない」。居酒屋時代に身につけた「お客さんの顔を見て料理を出す」感覚が、チェーン経営になっても消えていない。全店長とLINEでつながる社長。商品開発2人体制。29店舗だからこそ保てる、ひとりひとりの顔が見える距離感。

大きくなることを目指さなかったわけではない。できなかったのだ。でも、その「できなかった」が、結果的にドムドムの最大の武器になった。小さいからこそ攻められる。少ないからこそ濃くなる。

1970年に町田のダイエーで生まれた小さなバーガーショップは、マクドナルドよりも1年先に日本人にハンバーガーを食べさせた。半世紀を超えて、400店舗から29店舗に縮んだ。でも今、日本で一番「次に何を出すか」が楽しみなハンバーガーチェーンはどこかと聞かれたら、答えはひとつだ。

ドムドム、と答える人が確実に増えている。

KOTOHAREの視点:ドムドムバーガーは1970年創業、マクドナルドより1年早い日本最古のハンバーガーチェーンだ。400店舗から29店舗まで激減した「絶滅危惧種」を救ったのは、39歳まで専業主婦だった社長・藤﨑忍。マクドナルドの真似をやめ、丸ごとカニバーガーや厚焼きたまごバーガーで独自路線を確立。3年連続黒字、41ヶ月連続既存店売上増、台湾進出、MBO——「大きくなること」だけが正解じゃないと証明した29店舗の逆襲は、まだ続いている。