カレーの次に来るのは、カレーではない
「次に流行るスパイス料理は何か」——この問いに、食のプロたちがほぼ同じ答えを返すようになったのは、ここ2〜3年のことだ。
スパイスカレー、マーラータン、台湾まぜそば。ここ数年の食のトレンドを振り返ると、「辛い」「香りが強い」「自分でカスタムできる」という共通項が浮かぶ。で、次はなんだ? という話になったとき、返ってくる答えが判を押したように同じなのだ。
ビリヤニ。
聞いたことはあるけど食べたことはない、という人がまだ多いかもしれない。でも、これは覚えておいたほうがいい名前だ。カレーの次に来るのは、カレーではない。炊き込みご飯だ。
クックパッドの食トレンド予測2026にも選出された。セブンイレブンや成城石井の棚にも並び始めた。都内のビリヤニ専門店には行列ができている。気がつけば、この料理はもう「知る人ぞ知る」のフェーズを通り過ぎている。
そもそもビリヤニとは何者なのか
名前は知っていても、正体がよくわからない。カレーチャーハンみたいなもの? ドライカレー? ピラフ? ——どれも違う。まったく別の料理だ。
ビリヤニは、インド・パキスタンなど南アジアのスパイス炊き込みご飯。パエリア、松茸ご飯と並んで「世界三大米飯料理」のひとつに数えられる。ムガル帝国時代の宮廷料理がルーツとされ、イスラム教の結婚式や祝いの場で振る舞われるご馳走だ。つまり、南アジアにおける「ハレの日の食事」にあたる。
作り方が独特だ。まず、バスマティライスという細長いインドの米を使う。日本米とはまるで違う。粘り気がなく、炊くとパラッパラになる。この米を、サフランやターメリックで色をつけながら半茹でする。
別の鍋では、肉や魚をヨーグルトとスパイスでマリネして煮込んでおく。チキン、マトン、ときには海老。そして、この2つを鍋の中で交互に層にして重ね、蓋をして蒸し上げる。「ダム」と呼ばれるこの工程が、ビリヤニの心臓だ。
蓋を開けた瞬間の香りがすごい。カルダモン、クローブ、シナモン、ローリエ——スパイスの香りが蒸気とともに一気に立ちのぼる。白い米の層、スパイスで黄金色に染まった米の層、肉の旨味が染み込んだ茶色い層。この3色のグラデーションが、見た目にも美しい。
なぜ今、日本人がビリヤニにハマっているのか
「インド料理でしょ? ニッチでしょ?」——そう思うかもしれない。でも、ビリヤニが日本で受け入れられる土壌は、すでに完成していた。
まず、スパイスカレーブームだ。2010年代後半から大阪・東京を中心にスパイスカレーが爆発的に広がり、日本人の舌がスパイスに慣れた。クミン、コリアンダー、ターメリック——10年前なら「何それ」と言われたスパイスの名前を、今は普通に口にする人が増えた。ビリヤニにハマるための「味覚の下地」が、カレーブームのおかげでできていたのだ。
もうひとつ、もっと根本的な理由がある。日本人は「味のついたご飯」が大好きだということ。
炊き込みご飯、混ぜご飯、おにぎり、チャーハン、オムライス、丼もの。考えてみれば、日本の食文化は「白米に何かをのせる」か「米に味をつけて炊く」かの二択で成り立っているようなものだ。ビリヤニは後者に当たる。スパイスで味をつけた炊き込みご飯。この説明を聞いた瞬間、日本人の食のDNAが「あ、それは好きなやつだ」と反応する。
さらに、「香り」で食体験を選ぶ傾向が強まっている。SNS時代の食は「映え」が先行したが、映えの次に来たのは「薫り」だ。スパイスの香りは強烈に記憶に残る。ビリヤニの蓋を開けた瞬間の香りは、一度嗅いだら忘れない。食レポで伝えにくい分、「実際に食べに行きたい」という動機に直結する。
専門店も急増している。東京・新宿のビリヤニ大澤は連日行列。エリックサウスのビリヤニは発売日に完売する。大阪のダルバート食堂、名古屋のハリマケバブビリヤニ——地方にも専門店が広がり始めた。セブンイレブンが「ビリヤニ風スパイシーライス」を発売し、成城石井では本格チルドビリヤニが棚に並ぶ。コンビニとスーパーに並んだということは、もう「一部のマニアの食べ物」ではないということだ。
スパイスカレーブームが「味覚の土壌」を作り、炊き込みご飯の国民性が「受容の回路」を開いた。ビリヤニブームは、偶然ではなく構造的必然だった。
豚骨ビリヤニ、鯛出汁ビリヤニ——日本流の進化が止まらない
ここからが面白い。日本人はビリヤニをそのまま受け入れるだけでなく、独自に進化させ始めている。ラーメンが中国の拉麺から豚骨ラーメンへ変貌したように、ビリヤニも「日本流」に変わりつつある。
まず、「チャーハンとどう違うの?」という疑問に答えておきたい。チャーハンは油で「炒める」。ビリヤニは蓋をして「蒸す」。どちらもパラパラだが、食感がまるで違う。ビリヤニのパラパラは、ふわっとしている。日本の炊き込みご飯に近い。油のコーティングではなく、蒸気で米粒が独立するパラパラだ。そして、ひと口ごとに味が変わる。白い部分はバスマティライスの素朴な香り。黄色い部分はサフランとスパイスの華やかさ。肉の近くは旨味の塊。この「味のグラデーション」は、チャーハンにはない体験だ。
で、日本人がこれに手を加えるとどうなるか。
豚骨ビリヤニ。ムスリム料理であるビリヤニに豚骨スープを使う。イスラム圏では考えられない組み合わせだが、日本では「うまいから」のひと言で成立してしまう。豚骨の濃厚なコラーゲンがバスマティライスに絡み、スパイスの香りと豚の旨味が混然一体になる。ラーメンの国だからこそ生まれた発想だろう。
京都では、鯛出汁と旬の食材を使った創作ビリヤニが登場した。和食の出汁文化とインドのスパイス文化が京都という土地で出会う。秋田の「星みや」では、和食出身のシェフがキノコやフグを使ったビリヤニを作っている。東京ミッドタウンでは桜海老ビリヤニが提供された。
これらはすべて、日本の食文化がビリヤニという素材を「翻訳」した結果だ。カレーがバーモントカレーになり、日本式カレーライスという独自ジャンルを確立したように。ラーメンが豚骨、味噌、醤油と地方ごとに進化したように。ビリヤニも、日本の風土と食文化に合わせて変貌を遂げようとしている。
まだ「豚骨ビリヤニ」という言葉にピンとこないかもしれない。でも、かつて「豚骨ラーメン」もそうだった。中国人が聞いたら首をかしげるような料理が、今では日本を代表する食文化になっている。ビリヤニも同じ道を辿るかもしれない。
次にスパイス料理が食べたくなったら
カレーは「かける」料理だった。ルウを米にかける。ナンにつける。スープをすする。いずれも、スパイスと米が「分離」している。
ビリヤニは「炊く」料理だ。スパイスと米と肉が、ひとつの鍋の中で一体になる。かけるのではなく、染み込ませる。だから、ひと口ごとに違う味がする。だから、最後のひと粒まで飽きない。
正直なところ、ビリヤニの魅力を文章で伝えるのは難しい。「スパイスの炊き込みご飯です」では、あの蓋を開けた瞬間の香りの爆発は伝わらない。「パラパラだけどふわっとしています」では、米粒ひとつひとつにスパイスが染みた食感は想像できない。
だから、食べてみてほしい。近くにビリヤニ専門店がなければ、コンビニやスーパーのビリヤニでもいい。成城石井のチルドビリヤニは、最初の一歩として悪くない。もしスパイスの深い香りに惹かれるタイプなら、専門店に足を運んでほしい。本格的なダムビリヤニの蓋が開く瞬間を、目の前で体験してほしい。
日本人はこれまで、ラーメンもカレーもパスタも、海の向こうから来た料理を「自分たちの味」に変えてきた。ビリヤニもきっと、そうなる。10年後に「国民食」と呼ばれているかどうかはわからない。でも少なくとも、「カレーの次」の選択肢として、あなたの食卓に一度は登場する日が来るだろう。
次にスパイス料理が食べたくなったら、「カレー」ではなく「ビリヤニ」と検索してみてほしい。きっと、想像以上に近くにある。