今日、マヨネーズが値上がりした

2026年4月1日。今日から、マヨネーズが値上がりする。

帝国データバンクの調査によれば、4月に値上げされる飲食料品は2,798品目。そのうち最多を占めるのが、マヨネーズやドレッシングを含む「調味料」カテゴリで、実に1,514品目にのぼる。値上げ1回あたりの平均値上げ率は14%。値上げ要因の99.8%は「原材料高」だという。

キユーピーも味の素も、揃ってマヨネーズの価格を引き上げた。鶏卵、食用油、菜種——原材料の国際価格は高止まりを続け、円安が追い打ちをかけ、中東情勢の不安定さが物流コストを押し上げている。企業努力の範囲を超えた、構造的な値上げだ。

スーパーの棚に手を伸ばして、一瞬ためらう。「また高くなったな」と思う。でもその一本には、100年の物語が詰まっている。値上がりした今だからこそ、知っておいてほしい話がある。

ポマードと間違えられた日本初のマヨネーズ

1925年3月。東京の小さな工場で、日本初のマヨネーズが生まれた。作ったのは、中島董一郎。のちにキユーピー株式会社となる食品工業の創業者だ。

中島は大正時代、農商務省の海外実業練習生としてイギリスとアメリカに約3年間滞在した。アメリカではサラダが日常的に食べられており、そこに使われるマヨネーズの美味しさと栄養価に衝撃を受けた。帰国後、いつか日本人にもこの味を届けたいと考え続けていたという。

転機は関東大震災だった。1923年の震災復興で街は急速に西洋化し、洋食文化が広がっていく。「今なら受け入れられる」。中島はそう確信し、マヨネーズの製造に踏み切った。

だが、売れなかった。初年度の販売はわずか120箱、重さにして約600kg。「マヨネーズ」という言葉すら知られていない時代だ。瓶詰めで販売したそれを、整髪料——ポマードと間違えて髪に塗ってしまった人がいたという逸話が残っている。

笑い話のようだが、考えてみればすごいことだ。誰も知らない調味料を、「日本人の体格を良くしたい」という信念ひとつで売り出した。それが今、日本の食卓にこれほど深く根づいている。

卵黄か、全卵か——日本だけの進化

マヨネーズの原材料は、卵、油、酢。シンプルだ。だが、世界のマヨネーズと日本のマヨネーズには、決定的な違いがある。

中島董一郎が作ったキユーピーマヨネーズは、最初から「卵黄タイプ」だった。全卵ではなく、卵黄だけを使う。当時の日本人の栄養状態を考え、少量でも高い栄養価を摂取できるよう、あえて卵黄のみを選んだとされる。卵黄タイプはコクが深く、濃厚でクリーミーな味わいになる。

一方、1968年に味の素が発売したマヨネーズは「全卵タイプ」だった。卵黄も卵白も丸ごと使う。あっさりとした味わいで、素材の味を活かしやすいのが特徴だ。現在の「ピュアセレクト マヨネーズ」の前身にあたる。

卵黄タイプか、全卵タイプか。この二択が成立している国は、世界でも日本くらいだ。欧米のマヨネーズはほとんどが全卵タイプで、日本のような「卵黄だけのマヨネーズ」は珍しい。つまり日本人は、100年かけて独自のマヨネーズ文化を築き上げてきたことになる。

ちなみに、キユーピーのシェアは国内マヨネーズ市場の約6割。残りの多くを味の素が占める。この二社の競争が、日本のマヨネーズを世界でも類を見ないレベルに押し上げた。

マヨネーズの容器——星型キャップと多層構造ボトル
星型キャップと多層構造ボトル。容器の裏にも100年の技術が宿っている

星型キャップと、酸素を遮断するボトル

マヨネーズの進化は、味だけではない。容器の技術革新にも、知られざるドラマがある。

1958年、キユーピーはそれまでの瓶詰めからポリエチレン製のボトルに切り替えた。軽くて使いやすい。だが問題があった。ポリエチレンは酸素を通しやすい。マヨネーズの天敵は酸化だ。油が酸化すれば風味が落ち、色も変わる。

この課題を解決するために開発されたのが、多層構造ボトルだった。ポリエチレン層の間に、酸素を透過しにくいEVOH(エチレン-ビニルアルコール共重合体)という特殊な素材を挟み込む。いわばミルフィーユ構造のボトルで、酸素の侵入を防ぐ。1988年にはボトル口部にアルミシールを採用し、1998年には充填時に窒素を封入して口部の空気を置換する技術も導入された。

そして1972年、あの「星型キャップ」が登場する。絞り出すとマヨネーズが星の形になる、誰もが見たことのあるキャップだ。マヨネーズの粘度を活かし、ホイップクリームのようにきれいな線が描けるよう設計されている。「料理が楽しくなる」という機能性と遊び心を両立させた、地味だが画期的な発明だった。

容器の裏側に、これだけの技術が詰まっている。私たちが「当たり前」のようにキュッと絞り出しているあの感触は、何十年もの試行錯誤の結晶なのだ。

「よい原料がなければ作らない」——戦時中の矜持

キユーピーの歴史には、ひとつの空白期間がある。

1941年、太平洋戦争が始まった。鶏卵や食用油といったマヨネーズの原材料は軍需物資に回され、民間での入手が困難になっていく。1943年頃、キユーピーはやむなくマヨネーズの製造を中止した。

戦後、物資の流通が徐々に再開しても、中島董一郎はすぐには製造を再開しなかった。闇市には原材料が出回っていた。品質を問わなければ、マヨネーズを作ることはできたはずだ。だが中島はそれを拒んだ。「よい原料がなければ作らない」——品質を妥協するくらいなら、作らないほうがいい。

マヨネーズの製造が再開されたのは、1948年。安定した品質の原料が流通し始めてからだった。約5年間、中島は売上ゼロの状態に耐え続けたことになる。

ビジネスとしては非合理的だ。でも、この判断がブランドの根幹を守った。「キユーピーの味は変わらない」という信頼は、こうした一見非効率な決断の積み重ねで築かれている。

よい原料がなければ作らない——中島董一郎のこの決断が、キユーピーマヨネーズ100年の信頼を支えている。

「Japanese Mayo」として世界に逆輸出される

もともと西洋から日本に渡ってきたマヨネーズが、今、逆の旅をしている。

キユーピーは1982年にカリフォルニアで海外展開を開始し、その後タイ、中国など世界各地に進出。現在は70カ国以上でマヨネーズやドレッシングを販売している。

転機は2010年代以降だ。欧米のシェフやフードライターがキユーピーマヨネーズの濃厚な旨味に注目し始め、アジア食材店だけでなく一般のスーパーにも並ぶようになった。2021年には、TikTokで話題になったサーモンライスのレシピにキユーピーマヨネーズが使われ、若い世代の間で爆発的に広まった。

海外では「Japanese Mayo」あるいは単に「Kewpie」と呼ばれ、もはやひとつのジャンルになっている。全卵タイプが主流の欧米で、卵黄だけで作るキユーピーの味は「より濃厚で、旨味が深い」と評される。MSGを恐れない新しい世代のフーディーたちが、日本のマヨネーズに惹かれている。

中島董一郎がアメリカのマヨネーズに感動し、日本に持ち帰って100年。その日本版マヨネーズが、今度はアメリカで「発見」されている。食の歴史は、こうやって巡る。

値上げの構造——なぜマヨネーズは高くなったのか

最後に、値上がりの背景を構造的に整理しておきたい。

帝国データバンクによれば、2026年4月の食品値上げ要因の99.8%は「原材料高」に起因する。これは集計開始以来の最高値だ。マヨネーズの場合、主原料である鶏卵と食用油の価格高騰が直撃している。

鶏卵は、2023年の鳥インフルエンザ大流行以降、供給が回復しきっていない。飼料価格も高止まりが続く。食用油の原料となる菜種や大豆の国際価格は、異常気象による不作と世界的な需要増で上昇傾向にある。

さらに円安が追い打ちをかける。原材料の多くを輸入に頼る日本の食品メーカーにとって、為替の影響は避けられない。加えて、中東情勢の不安定さがエネルギーコストと物流費を押し上げている。

つまり、マヨネーズの値上がりは単一の原因ではなく、鶏卵高騰・油脂高騰・円安・中東リスクという複数の要因が重なった構造的なものだ。メーカーの利益が増えているわけではない。むしろ企業努力でギリギリまで吸収した結果の、やむを得ない値上げだろう。

4月の食品値上げ全体像については別の記事で詳しくまとめているが、マヨネーズに限って言えば、その一本の裏に、世界経済の縮図がある。

その一本に、100年の物語が詰まっている

ポマードと間違えられながら売り出された120箱。卵黄だけで作るという世界でも珍しい選択。闇市の原料を使わなかった創業者の矜持。酸素を遮断するミルフィーユ構造のボトル。星型の絞り口から出てくる、あの形。そして今、海の向こうで「Japanese Mayo」と呼ばれていること。

マヨネーズは、ただの調味料ではない。100年の技術と信念が詰まった、日本の食文化そのものだ。

値上がりした。それは事実だ。家計にとって、決して軽い話ではない。でも、値段だけで測れない価値が、あの一本にはある。

次にスーパーでマヨネーズを手に取るとき、その一本に100年の物語が詰まっていることを、少しだけ思い出してほしい。値札の向こう側にある、日本人とマヨネーズの長い長い物語を。

KOTOHAREの視点:キユーピーマヨネーズは1925年、中島董一郎がポマードと間違えられながら売り出した日本初のマヨネーズ。卵黄タイプという世界でも珍しい選択、戦時中に品質を守るため製造を中止した矜持、星型キャップや酸素遮断ボトルの技術革新——100年かけて進化した「Japanese Mayo」は今、70カ国以上で愛されている。値上がりの向こうに、知るべき物語がある。