「どじょう、食べたことある?」——この質問に、即答できる人はどれくらいいるだろうか。スーパーの鮮魚コーナーにはまず並ばない。居酒屋のメニューでも見かけない。かつて江戸の庶民が日常的に食べていた魚が、いつの間にか「知ってはいるけど食べたことはない」存在になっている。
でも、浅草に一軒だけ、150年以上どじょう鍋を出し続けている店がある。どぜう飯田屋。東京の下町で、江戸の味を今も守り続けている。
江戸っ子のソウルフードが、消えかけている
江戸時代、どじょうは庶民にとって身近なタンパク源だった。田んぼや用水路にいくらでもいて、安くて栄養がある。「どぜう鍋」は江戸の夏の風物詩で、暑い日に鍋を囲んで精をつけるのが当たり前だった。
ところが、時代が変わった。田んぼは減り、用水路はコンクリートで固められ、天然のどじょうは激減した。それ以上に大きいのは、「食べる文化」そのものが薄れたことだ。若い世代にとって、どじょうは「名前は知っているけど食べ方がわからない」食材になってしまった。
実際に訪れたときの様子を動画でお届けします。
@foodie_kotohare_jp どぜう飯田屋の動画
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150年前から変わらない、炭火と割り下
どぜう飯田屋の創業は明治初期。以来、六代にわたってどじょう鍋を出し続けてきた。
この店の鍋は、浅い鉄鍋にどじょうを並べ、甘辛い割り下で煮る「丸鍋」が定番だ。炭火で温めた鉄鍋の上に、たっぷりのネギを山のように盛る。煮えたところから箸でつまんで、ネギと一緒に口に運ぶ。
驚くのは、この調理法が150年間ほとんど変わっていないこと。割り下のレシピも、鍋の形も、炭火を使うことも。効率を考えればガスに替えてもいいはずだが、飯田屋はそうしなかった。「炭火じゃないと、あの味にはならない」からだという。
150年間、同じ鍋、同じ割り下、同じ炭火。変えないことが、この店の最大の「レシピ」だ。
なぜ「どじょう」ではなく「どぜう」なのか
飯田屋の暖簾には「どぜう」と書かれている。「どじょう」の間違いではない。これは江戸時代の表記だ。
かつて仮名遣いで「どぢやう」と書いていたどじょうを、江戸の人々は「どぜう」と表記するようになった。四文字は縁起が悪いから三文字にした、という説が有名だ。つまり「どぜう」という文字自体が、江戸の食文化の名残なのだ。
飯田屋がこの表記を守り続けているのは、単なるこだわりではない。「どぜう」と書くことで、この店が江戸から続く文化の継承者であることを、暖簾の三文字で伝えている。
「食べたことがない」を、「また食べたい」に変える一軒
初めてどじょう鍋を食べる人は、たいてい恐る恐るだ。見た目のインパクトがある。小さな魚がずらりと鍋に並んでいるのだから、無理もない。
でも、一口食べると印象が変わる。淡白で、でもしっかりとした旨味がある。割り下の甘辛さとネギのシャキシャキ感が合わさって、箸が止まらなくなる。骨ごと食べられるから、カルシウムも豊富。江戸の人たちが夏バテ防止に食べていた理由がわかる。
飯田屋には、観光客だけでなく地元の常連も多い。「月に一度はどぜう」という人もいる。150年続いているのは、リピーターがいるからだ。一度食べた人が「また来たい」と思う味を、六代にわたって守り続けている。
店舗情報
- 店名
- どぜう飯田屋(いいだや)
- 住所
- 東京都台東区西浅草3-3-2
- TEL
- 03-3843-0881
- 営業時間
- 11:00〜21:00(L.O.20:30)
- 定休日
- 水曜日
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