「担担麺」と聞いて、何を思い浮かべるか
「担担麺」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのはクリーミーなゴマのスープに浮かぶ中華麺だろう。ピリ辛で、濃厚で、どこの中華料理屋にもある定番メニュー。寒い日のランチに選びたくなる、あの一杯。日本全国どこに行っても、中華料理の看板を掲げる店なら大抵メニューにある。
しかし、それは日本独自のアレンジだ。
担担麺の発祥地、中国・四川省で食べられているのは「汁なし」が基本だ。そもそも「担担」とは天秤棒を意味する。清朝の時代、担ぎ売りの行商人が天秤棒で鍋と麺を担いで売り歩いていた。担いで歩くのだからスープがたっぷりでは困る。だから汁なし。これが本来の姿だ。
1950年代に四川出身の料理人・陳建民が来日した際、日本人の味覚に合わせてスープを加えた。これが日本全国に広まり、私たちが「担担麺」と聞いて思い浮かべる姿になった。つまり、日本人が普段食べている担担麺は、本場とはまったく別物なのだ。陳建民は「美味しければそれでいい」と笑ったというが、その一言で日本の担担麺の歴史が決まった。
ところが、日本にも本場に近い「汁なし担担麺」を名物として確立した街がある。広島だ。お好み焼きの街として知られる広島が、実は「汁なし担担麺の街」でもあることを、広島以外の人はあまり知らない。専門店は20店以上。広島の人々にとって、汁なし担担麺はお好み焼きに並ぶソウルフードになりつつある。
その広島汁なし担担麺の文化を広げた店の一つが「武蔵坊」だ。
一杯のラーメンが人生を変えた——広島汁なし担担麺の誕生物語
広島の汁なし担担麺は、一軒のラーメン屋から始まった。
2001年、広島市中区舟入。経営不振に苦しんでいたラーメン店「きさく」の店主・服部幸一さんが、中国人留学生の料理教室で汁なし担担麺に出会った。その味に衝撃を受けた服部さんは、四川省に渡り、現地の店を片っ端から食べ歩いた。帰国後の食べ過ぎでお腹を壊し、空港からそのまま病院で点滴を打ったというエピソードが残っている。身体を張った取材だ。
試行錯誤の末、服部さんはラーメン店を「汁なし担担麺 きさく」に看板替えした。当時、日本で汁なし担担麺を知る人はほとんどいなかった。ゴマは使わず、鶏ガラと煮干しのスープに山椒と辣油。麺を底から持ち上げて30回以上混ぜてから食べる。その唯一無二の「辛くて痺れる」味は口コミで広がった。温玉トッピングも、残ったタレにご飯を入れる「担担ライス」も、客が自発的に始めたのが発祥だ。店主が考えたのではなく、食べた人が自然とたどり着いた食べ方。それが文化になった。
2009年、「くにまつ」がオープン。東京出身の店主は旅行で広島の汁なし担担麺を食べてやみつきになり、長野から広島に移住してまで専門店を開いた。人生を変える一杯があったのだ。自家製麺で独自の味を確立し、さらにレシピを惜しげもなく公開した。これにより新規参入が相次ぎ、2010年頃から第二次ブームが起きた。レシピを隠すのではなく公開する。それによって市場全体が大きくなり、広島の汁なし担担麺は「ジャンル」として確立された。
この波に乗って登場した店の一つが「武蔵坊」だ。「きさく」「くにまつ」「キング軒」が「広島汁なし担担麺御三家」と呼ばれる中、武蔵坊は広島市内に複数店舗を構え、さらに横浜大倉山にも進出。「バナナマンのせっかくグルメ!」でも紹介され、全国にファンを増やしている。広島発の味が、県境を越えて広がり始めている。
なぜ広島で「汁なし」が根づいたのか——お好み焼きの街の味覚
広島で汁なし担担麺が独自の食文化として根づいた背景には、いくつかの要因がある。
まず、広島の人は辛いものが好きだと言われている。唐辛子の辣(ラー)の辛さに加え、花山椒による麻(マー)の痺れ。和山椒の2倍の辛さを持つ花山椒の刺激は、口に入れた瞬間に体が火照り、冬でも額からじわりと汗が吹き出す。この独特の「痺辛(しびから)」体験が、広島の人々に新しい感動を与えた。一度体験すると忘れられない。その中毒性が、リピーターを生み、専門店の経営を支えた。
広島汁なし担担麺には「3つのタイプ」がある——胡麻ペーストや干し海老の風味を加えた「東京式」、本場そのままの「成都式」、そして山椒の痺れを主役に据えた「広島式」。広島式の特徴は、ゴマの風味より山椒の痺れを前面に出すところにある。ゴマの甘みでマイルドにするのではなく、山椒の刺激と旨味で真っ向勝負する。その潔さが、広島の食文化に合っていたのかもしれない。
武蔵坊のこだわりは「3つの旨味」にある。第一は清湯スープ。鶏ガラに旨味の強い根菜を加え、静かに丁寧に炊いた透明なスープが、全ての具材をつなぐ。濁らないように弱火でじっくり。この透明なスープが、汁なしなのに深い味わいを生む土台になる。
第二は自家製辣油。山椒・八角・桂皮・陳皮・鷹の爪の漢方食材を香り高い野菜と炊き上げ、低温で一定期間熟成させる。辣油というと唐辛子の辛さだけを想像するが、武蔵坊の辣油は複雑な香りのハーモニーだ。辛さの中に甘みがあり、痺れの中に奥行きがある。この辣油だけで、何種類もの味の要素が口の中に広がる。
第三は自家製甜麺醤(テンメンジャン)。八丁味噌を調合し、高温で乳化するまで炊き上げ、紹興酒を加えてひき肉を一気に炒める。ひき肉の一粒一粒に旨味を閉じ込める。この甜麺醤が、辛さと痺れの中に「甘み」と「コク」を与える。辛いだけではない、痺れるだけではない、その奥にある深い旨味。それが武蔵坊の真骨頂だ。
そして武蔵坊は「化学調味料に一切頼らない」と明言する。調理段階に手間をかけ、自然な旨味だけで勝負する。「毎日食べられる担担麺」というコンセプトは、単にマイルドにするということではない。身体に負担をかけず、また食べたくなる味を目指している。化学調味料を使えば簡単に「旨い」は作れる。だが、それは「また食べたい」にはならない。自然な旨味だからこそ、身体が求める。だから毎日食べたくなる。
麺は塩不使用の低加水麺。「バツバツ」と表現される歯切れの良い食感が特徴だ。太めの麺にタレが絡みつき、噛むほどに小麦の風味が広がる。この麺に3つの旨味が合わさったとき、辛いのに優しい、痺れるのにまろやかな、矛盾する味のバランスが口の中で完成する。
「混ぜる」という作法が、一杯の体験を変える
広島の汁なし担担麺には、独特の「作法」がある。
着丼したら、まず底の方から麺を持ち上げ、タレと具材をしっかり混ぜる。30回以上混ぜるのが基本だ。最初は麺の上にひき肉とネギがのっているだけに見える。だが底にはタレが潜んでいる。箸を差し込み、底から持ち上げ、返し、また持ち上げる。10回、20回、30回。次第に麺の色が変わっていく。白っぽかった麺が、タレの色に染まっていく。その変化を見ているだけで食欲が湧いてくる。
混ぜ終わったら、好みで山椒をふりかける。花山椒の痺れが加わり、味の輪郭がくっきりする。さらに高麗人参酢をかけると、酸味が加わって全く違う表情になる。一杯の中で何度も味変ができる。飽きるということがない。
そして最後の楽しみが「担担ライス」だ。具材を少量残した器にご飯を投入し、しっかり混ぜる。タレとひき肉の旨味がご飯に染み込み、一杯で二度楽しめる。これは広島で客が自然と始めた食べ方が文化になったものだ。誰かが「ここにご飯入れたらうまいんじゃないか」と思いつき、やってみたら本当にうまかった。その発見が共有され、やがて「常識」になった。
この「混ぜる」という行為が、汁なし担担麺の体験を決定的に変える。スープのあるラーメンは、出された瞬間が完成形だ。だが汁なし担担麺は、客自身が混ぜることで完成する。料理人と客が共同で一杯を仕上げる、参加型の食体験だ。だから同じ店で同じメニューを頼んでも、混ぜ方によって味が変わる。自分だけの一杯が、毎回できあがる。
混ぜ方一つで味が変わる。浅く混ぜればタレの濃い部分と薄い部分のグラデーションが楽しめるし、徹底的に混ぜれば均一な旨味が口いっぱいに広がる。山椒を最初にかけるか、途中でかけるかでも印象は変わる。一杯の中に無限のバリエーションがある。
武蔵坊のオンラインショップでは、店の味を家庭で再現できるセットが販売されている。「濃厚胡麻」と「芳醇醤油」の2種類。バツバツの低加水麺とモチモチの特製中太麺から選べる。自分で茹でて、自分で混ぜて食べる体験は、店で食べるのとはまた違った楽しさがある。広島まで行けなくても、まずは家で、あの痺辛を体験してみてほしい。
広島に行く理由が、一つ増えた
広島に行く理由が、一つ増えた。
お好み焼き、牡蠣、もみじ饅頭、宮島。広島の名物は数え切れないほどある。だが、汁なし担担麺はまだ全国的には「知る人ぞ知る」存在だ。広島の人たちが日常的に食べている、あの痺辛の一杯を、多くの人はまだ体験していない。お好み焼きが「観光客が食べるもの」でもあるのに対して、汁なし担担麺は「広島の人が食べるもの」だ。だからこそ、そこに本物の食文化がある。
武蔵坊の本店は広島市西区横川町にある。広島駅からJR山陽本線で一駅、横川駅から徒歩すぐ。横浜の大倉山にも店舗がある。関東圏の人は、まず大倉山店で広島の味を体験してみるのもいいかもしれない。横浜に広島の味があるというのも不思議な話だが、それだけこの一杯に惚れ込んだ人がいるということだ。
もし家で試してみたいなら、武蔵坊のオンラインショップで取り寄せできる。生麺とタレのセットで、店の味にかなり近い体験ができる。茹でた麺にタレを絡め、付属のひき肉をのせ、底から30回混ぜる。山椒をふり、一口すする。辛い。痺れる。でもうまい。思わずもう一口。そしてもう一口。気づけば器の底にタレだけが残っている。そこにご飯を投入する。これが担担ライスか。やばい。止まらない。
広島で生まれた汁なし担担麺は、たった20年余りでご当地の食文化になった。伝統の長さだけが食文化の価値ではない。人々の口に合い、愛され、進化し続ける一杯は、時間をかけて「名物」になっていく。広島の汁なし担担麺は、まさにその過程にある。20年後、30年後には「広島といえば汁なし担担麺」が当たり前になっているかもしれない。
一杯の汁なし担担麺が、あなたの「広島に行きたい理由」になるかもしれない。
本場・四川の担担麺は「汁なし」が基本。広島で生まれた汁なし担担麺は、20年で専門店20店以上のご当地グルメに。化学調味料に頼らない武蔵坊が追い求める「毎日食べたい一杯」は、広島の新しいソウルフードだ。
店舗情報
- 店名
- 汁なし担担麺 武蔵坊(むさしぼう)
- 本店
- 広島県広島市西区横川町3丁目10-16
- TEL
- 082-233-3441
- 営業時間
- 店舗にお問い合わせください
- 横浜店
- 神奈川県横浜市港北区大豆戸町2-7(TEL:045-834-5022)
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